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ヒューマンストーリー 井筒信一さん

1936年松本生まれ

中山でヴァイオリン工房を構え、今年84歳をむかえるも、毎日ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの制作に余念がない井筒さんを訪ねました。

12坪ほどの広さの工房の壁には、様々な大きさのヴァイオリン、製作に使う型、長い間寝かした松など材料を積んだ棚、額に入れられた写真からはヴァイオリン製作者としての人間関係が垣間見えます。 温和な表情で相対してくれました。




 — お父さんは木地師だったそうですが

父は木工轆轤(ろくろ)でお盆や皿を作っていました。お城の近くの田町というところの長屋住まいだったのですがその一室でやっていて、小さい頃から作る様子をそばでよく見ていました。木工職人として旧満州にも3年間、轆轤の指導で行っていました。正月しか帰ってこなかったので、その間は僕が家のことは何でもやりましたよ、小学生でしたが。4年生の時3日間ずっと父の仕事ぶりを見ていて、4日目に父が

「しんちゃん、やってみるか」というので、僕は「はい」と言って轆轤にむかったんです。始めてやったのにうまくできた。父の仕事をずっと見ていたから出来たんです。

そうしたら父が「しんちゃん、それは真似事だ」っていうんです。


— 職人は、教えない、見て技を盗め、といいますが。

ふつうはそうなんですが、父は少し違っていました。何故そうするのか、いつも考えながらやらなきゃだめだ、疑問をもちながらやれといいました。それが今につながっていますね。


— ヴァイオリン作りに進むきっかけは

教会に行っていた僕に声をかけてくれたのが、スズキメソードの鈴木慎一さんの妹さんでした。

それまで僕は父の跡を継ぐというふうに思っていたのですが、そういわれるとヴァイオリン作りがどうしてもしたくなった。でもずっと黙っていました。父は頑固者で受け入れてくれないと思っていましたから、なかなか切り出せなかった。それでも意を決して父に、ヴァイオリンを作りたいと言ったんです。一杯飲んでいて機嫌のいい時を選んで。そうしたら「しん、そばに来い」って言う。近づくと「もっとそばに来い」って言うんです。怒られると思ってそばにいったら「しん、それを死ぬまでやると言うなら、いい」と父が言うので「はい、やります!」と答えました。20歳の時でした。




—それからヴァイオリン作りの道に入るわけですが、どなたに教わったのですか


鈴木士郎さんです。旭町小の近くに工場があって、メソードで弾かれる子ども用のサイズのヴァイオリンを作っていて、そこに通いました。士郎さんはとにかく「そばで作るのをよく見ておきなさい」と言われるので、毎日毎日見ていました。何故そうするのかを考えながらずっと見ていました。そんな日を過ごしていたんですがある日「やってみるかい」と言ってくれたのでやってみると、ある程度作ることができたんです。士郎さんも驚いていました。

3年位たって数も多く作れるようになったころ、会社が平瀬に新しい工場をつくるということになって僕もそこに行くことになった。従業員も新しく4人入ってきたのでその若い人達に作り方を教えました。ほかに県内まわって材料を探して、仕入れをしたり経理もやりました。けど、あることがきっかけでそこをやめました。


—いつからフルサイズのヴァイオリンを作るようになったのですか

会社を辞めてからあちこち回ったのですが、仕事はあまりありません。そして東京まで足をのばし、鈴木慎一先生のお知り合いの加藤きよしさんという演奏家と知り合いになりました。その加藤さんの依頼があり、作ったところ「これはいい」と言ってくれた。40歳の頃です。

それからフルサイズのヴァイオリンをどんどん作るようになったのです。

そのあと、ヨーロッパに一人でいってイタリアやフランスのヴァイオリン作りの様子も見てきました。


—ヴァイオリンの本場ですね。材料もヨーロッパでないとだめだと今も言われますが。

僕もそう思っていました。名古屋のスズキヴァイオリンは北海道産のカエデやアカマツを使って作っていて悪くはなかった。40代後半に僕は釧路に行って材料を見に行きました。一般にヨーロッパ産は柔らかいのですが、北海道産は楓も松も堅いのが特徴です。和太鼓がそうであるように叩いて叩いて本物の音が出る、ヴァイオリンも弾き込むことで絶対にいい音がでると思いました。神さまはどんな環境でもベストを尽くせば道は広がると言って下さっていると思うようにしました。


—テレビで2度本場イタリアのヴァイオリンと「対決」して、涙を流されました

*(2019年と2020年メイドインジャパンという番組でイタリアのヴァイオリンと対決し、一度負けたイタリア側は2度目の対決に世界の名工ストラディバリウス作のヴァイオリンで挑んできた。それでも6人中二人のイタリア人がイヅツヴァイオリンを選んだ。10億円対200万円と話題になった)


本当に嬉しかったんです。国産の材料で作っていろいろ言われて悔しい思いを沢山味わってきました。ただ、まだ国内の名のある演奏家が使ってくれてないのが実情です。ぜひ使ってほしい。


—奥様はどう感じられましたか 

(奥様の秀子さん)テレビの結果は嬉しかったですよ。カーテンの向こうでどのヴァイオリンかわからないようにして聞き比べてみればわかるって昔から言っていましたから。今回全くそれが実現して、頑張ってきた甲斐があったと思いました。


—ご協力ありがとうございました


実に丁寧に質問に答えて頂き、まだまだこれからも作り続ける気概を感じました。84歳とは思えない輝きと身の軽さを持ち合わせ、孤高の厳しさも人間的な柔らかさも備えられた稀有な方と思いました。                      

聞き手 鈴木










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